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八柳李花『サンクチュアリ』

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生痕と死のあわいで


夜のなかに白く揺れるままに
陰影をうつす花影があらわで。
君が閉じた白はそんなにも
薄まるというから。
(「Sunctuary 03」より)


「言葉を愛すこと、そこから生じる情動に気づき、喜ぶこと。詩人の果敢な実践が痕跡として残るならば、千年後の夏にも一日を賭けて花が咲き、ここに在る言葉で再び夢を見ることができる」(藤原安紀子)。「この詩集において記述された、真昼であり深夜であるような死人の生、その一瞬一瞬の明滅と濡れと渇きは、収斂と拡散は、ある強迫に対してはアモラルであることを選び取るような身体と言語の準備のプロセスそのものなのだ」(安川奈緒)。〈在ること〉と〈不在であること〉をともに抱え込んで、解き放つ言葉の臨界点。
待望の第2詩集。写真=田中由起子


【著者のことば】

 H・S・クシュナーはラビなのだがとても進歩的なユダヤ教観(旧約への再解釈的な)を持っており、深淵に触れたユダヤ教思想は決して運命的な選民思想的なものでないことを裏付けている。それはユダヤ教観でもってタルムードを解釈しなおす(フロイト解釈によるフロイト自身のしくじり行為の検証のような)ものであり、偏狭的な聖典の解釈でありながら、宗教観そのものが根本的に抱えてきた価値の拠り所を深く洞察している。つまりクシュナーと読者の確信は、「神は善ではない」という共犯関係であり、論理の構造をそのような確信犯的隠匿にありながら『現代のヨブ記』はヨブの物語を紐解いていく。しかし、その自覚は傷なしには生まれえないものであり、痛みによって開かれた第三者的な視点によって裏打ちされており、この世にメタ言語が存在しないとするのなら、その世界の在処の喪失という覚醒が、新しい世界を開かれていて、丸いものに形作るのである。しかし、またそこから問いが浮上する。それは創造主からヨブへ与えられた問いである。世界の均衡と混沌、論理と非論理の線引きに対する、神自身からの投げかけ、挑戦状であるこの問いに直面した彼は、絶対的な孤独者である。ヨブは孤独のなかでくちびるを開く、「自分を退け、悔い改めます」(『聖書新旧同訳』ヨブ記42-6)と。開いたくちびるは、すぐさま閉じられたのだ。この沈黙のうちには、今さっきまでの語り手が進めてきた〈神の行為の検証〉から〈救いの嘆願〉への変遷という論理の飛躍がある。この論理値の掛け違いに、現代詩は鋭く食い込むのではないか。
 その断絶こそが"punish"や"penalty"の原語であるラテン語の"poena"すなわち、(我々が沈黙により飛躍したように)音韻で障る poematis(詩)そのものである。切り開かれたpoena(傷)つまり裂け目そのものなかに詩の本質は覘いているのである。


本体2,200円+税
A5判変型並製・106頁
ISBN978-4-7837-3268-6
2011年10月刊