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三人の詩人たち~ベルギー・モンス・ポエトリースラムに参加して【レポート完全版】③

2015年07月31日

*「現代詩手帖」2015年8月号掲載の大島健夫+橘上+三角みづ紀「三人の詩人たち~ベルギー・モンス・ポエトリースラムに参加して」の各氏によるレポートの完全版です。「現代詩手帖」には橘氏によるリミックス版を掲載しました。各レポートの末尾にはポエトリースラムの動画も掲載しています。
①三角みづ紀レポート②大島健夫レポート


(提供=大島健夫)

◎橘上

 しまった。靴が入らない。あと20分で乗継地のイスタンブール空港に着くというのに。しかし考えてみればそれも仕方あるまい。日本を出発して12時間,座りっぱなしのまま、赤ワイン、ウイスキーのコーラ割り、LAKIなどの酒類と大量の水を飲み続けていたのだから。一応断っておくが僕は酒乱じゃないし、酒好きというわけでもない。だからこそ、こういった時は無茶飲みしてしまうのだ。顔が赤く、丸くなっている。隣をみると大島さんが少し疲れた表情で眠っている。三角さんとは現地で落ち合う予定だ。

 今年の3月27日から29日に大島健夫さん、三角みづ紀さんと三人でベルギーのモンスで行われたポエトリー・スラム「SLAMons&Friends」に参加した。
 何故僕らがベルギーのモンスに入るかというと、去年の10月にEUジャパン経由でスラム主催者のAlainから大会への出場と日本チームの選考を依頼されたのだ。この大会は、モンスで行われるポエトリースラムの国際大会で、各国の代表者三人が1チームとなって、3分間のリーディングを競い合うというもの。僕は、スロヴェニアのプトゥイ、スウェーデンのウメオと二度海外の詩祭を経験しているが、どちらも20分前後の持ち時間を与えられた文学フェスティバルで、3分間のリーディングを競い合うスラムの経験は国内外どちらもない。
 そこで海外詩祭の常連の三角みづ紀さん、スラム歴8年だが海外詩祭初経験の大島さんをメンバーに選び、互いにフォローし合うことにした。
 今にして思えば、これは日本と海外をつなぐ試みであると共に、現代詩とスラムをつなぐ試みでもあった。

 日本では家から一時間前後の東京で会う三角さんと会うのに、わざわざ24時間かけるなんて、貴重な体験。25日出発の僕と大島さんに対して、三角さんは前乗りして23日に日本を出発していたのだ。僕らのいない間、三角さんは何をしていたのだろうか? そう思ってると三角さんから僕と大島さんに「ブリュッセルに着きました」とメールが届く。

3月26日(木)
 約24時間にわたるフライトの後、ブリュッセル空港に到着。前乗りしていた三角さんが待つ空港出口に向かう。リラックスした表情で僕らを迎える三角さんからは幾度もの海外を経験した「旅慣れ」た者の余裕を感じた。そのままブリュッセル空港駅からブリュッセル中央駅へ向かう。
 中央駅で円をユーロに換金した後、マグリット美術館→マンガ博物館へと行く予定だったが換金所を探しているうちにマンガ博物館の近くに来たので予定を変更して先にマンガ博物館に行くことに。受付で一時間後に待ち合わせる約束をして各自のペースで展示をみる。名前忘れたけど、海外のブラック・ユーモアというか不条理ナンセンスの1ページマンガのパネルがあり、見入ってしまう。他にはタンタンのコーナーとイラストレーションのコーナーとヘヴィメタルっぽいマンガのコーナーもあった。ドラゴンボールの悟空(幼少時)のフィギュアもあった。
 その後マグリット美術館へ。ゆったりとした展示スペースと時代を追っての作品展示が心地いい。地元のハイスクールの生徒らしき集団が絵の前で体育座りで先生の説明を聞いているのには驚いたけど。
 マグリット美術館でランチ後、マグリット美術館と併設されている、王立美術館へ。二人は疲れたようなのでカフェで待っているとのこと。王立美術館は地上二階地下八階(確か)あり、クラッシク絵画を扱うオールドマスターから、キュレーター推薦の新進アーティストを扱うモダンミュージアムなど七つのカテゴリーに分かれている。二人との待ち合わせは一時間後なので後半は駆け足での鑑賞。ベルギーの永きにわたる美術の歴史が僕の早足の速度で立ち上がってくる。途中オールドマスターとモダンミュージアムの連絡通路に入ってるのに気付かず、ルネッサンス期の絵画を忠実にサンプリングしたモダンアートだと思っていたら、本物のルネッサンス期の絵だったこともあった。複数の時間が僕の中でリミックスされて立ち上がる。歪んだ時空に迷い込んだみたいだ。
 モンスに行く時間が迫ってきたので二人と落ち合ってからスーパーに行って電車に飛び乗る。ホントはシャガール展も観たかったんだけど時間なかったんだよな。シャガ観たかったな。シャガ。

 約一時間ほど電車に乗り主催者のアランに電話をすると、通訳のスワジキさんと一緒に迎いに来てくれるという。駅の待合室で待っていると(日本人から見ると)大柄な白人男性とスレンダーな女性がやってきた。
 Alainはおおらかなムードを持ちながらも頼りがいのある、いかにも主催者って感じの人。僕らのテキスト翻訳と通訳を担当してくれるスワジキさんは26歳でダンスが得意でマンガ好きの音楽好き。日本に興味を持ったのは「ナルト」等の日本のマンガだという。それに加えて今回は詩の翻訳にまでチャレンジ。日本ではコミュニティーの名の下ではなればばなれになったものたちがスワジキさんのなかでは当たり前に共存している。「クール・ジャパン」と「日本の文学」がここでは当たり前に結びついている。もらった名刺の裏側には日本語で「意味」とデカデカと書かれていた。

3月27日(金)
 朝九時にホテルの食堂に集合して十一時に会場のメゾンホールへ。出場者の顔合わせとルール説明。のはずが一向に始まらない。「まぁここはヨーロッパだからのんびりしてんだね」と三角さんと話す。待っている間に久谷雉氏主催の同人誌「権力の犬」の名刺サイズ版を配る。「権力の犬」の意味がわからないとイタリアの詩人が聞いてくるので「アンダードッグオブガバメントパワー」と答えると「I see」と微笑んでくれた。
 フランスチームがパーカッションとアコースティックギターを持ち込んで何やら演奏しているので、静かに鑑賞していたら、トライアングルを渡されたのでリズムに合わせて即興演奏。途中担当楽器をパーカッションに変更して演奏を続ける。楽器がひけない僕のビートはよれよれだがフランスチームは気にせず合わせてくれる。周りを見渡すと、アジア人が僕らしかいない。日本代表と思っていたらアジア代表だったようだ。

 なんとなく顔合わせが終わり、スラム会場の観客席で待っていると突然「We Will Rock You」が鳴り響きアランが登場。キメの「We Will - We Will -We Will Rock You」のところを「Slam You」と変えて盛り上げる。どうやらこのスラムのテーマソングのようだ。間奏になると出場チームのメンバー紹介、そして最後にその国の言葉で感謝を述べる。イギリスには「Thank You!」、スペインには「Gracias.」といったように。日本チームにも「アリガトウ」といってくれ改めてこのスラムに招待されたことを実感した。しかし、出場チームの各言語であいさつするのは結構な労力である。三角さんが「もうアラン優勝でいいよ」と言っていた。
 おぼつかない英語と自分流の日本語でしか話せない我々は字幕を見てもなんだかわからない。ので、必然的に声の響きやパフォーマンスを重点的に見ることに。しかし、同じような量の笑いをとっていた詩人がいても点数に開きがあったり、リズミカルなリーディングをすれば必ずしも高評価というわけでなく、何が基準なのかはよくわからなかった。バルセロナ代表のリーディングは三人とも独創的かつグルーヴィで彼らが高得点なのは至極納得いったが。また、ほとんどの詩人がテキストを持たず暗唱していた。
 長時間同じ姿勢で座っていたので疲れがたまってきた。大島さんに「出番前には戻る」と一声かけて、休憩もかねてモンスの街へ。美術館でゴッホ展があったので入る。昨日のシャガのリベンジや! 展覧会の終盤で十年以上前に東京で観た「種を撒く人」を発見。まさかモンスで再会するとは。

 会場に戻るとあと一時間で僕らの出番。大島さんから「上くんが戻らなかった時のことを考えて謝罪のスピーチも考えたよ」と言われる。
 司会の女性が「フロムトーキョー、タケオ・オーシマ」と叫ぶと会場は大盛り上がり。入場曲が流れ大島さんの出番。
 大島さんは三分ジャストの作品「うなぎ」を三分ちょうどで終わらせる抜群の安定感を見せてくれた。反応も上々で、途中間を取ってからキメのパンチラインを放つところでは大爆笑。大島さんのテキスト・リーディングもさることながら、スワさんの翻訳の的確さに舌を巻く。ええの呼んだわ!
 続いて僕の出番。大島さんが客の空気をつかんでくれたので、僕の名前がコールされるとさらなる盛り上がり。この盛り上がりに飲まれないように、ステージ上でゆっくりシャツをパンツにしまい、ネクタイを整える。これで空気は自分のものになった。詩のタイトル「前衛体育教師による生活指導」を落ちついて言う。タイトルを言っただけで軽い笑いがもれる。この時僕はやや派手目のカーディガンにネクタイというスタイルだったので。シャツをパンツにしまうだけで「前衛体育教師」風に見えるだろうという目論見があったのだが、どうやら上手くいったようだ。
 大島さんのリーディングで翻訳が伝わることもわかったし、僕はテキストを持って読むので忘れてしまう心配はないから、プレッシャーを感じずに朗々と読めた。それに対して会場の熱気は増していき最初に起きた笑いがどんどん増幅していく。かと思えば「オウ」と呻るような声を出してくれたりと、一語一語一声一声に反応してくれた。改めてモンスに歓迎されたように感じた。
 最後は三角さんの番。このスラムはリズミカルなものや笑いのあるものが圧倒的に多い。三角さんのじっくり間を取った行間の多いリーディングはアウェイのように感じた。本番前三角さんが僕に言う。「決めた。私、この空気一変させてやるよ!」それを受けて僕も「そうや三角、東洋の魔女になるんやで!」と応える。準備はバッチリだ。
 三角さんが声を出すと、会場全体の注意が三角さんに集中する。初めてみたものに驚きと興味を持つように。
 その空気の中に一言一言緩やかな風を流し込むように三角さんが朗読する。静かに聞いていたお客さんも朗読が終わると、溜め込んでいたエネルギーを放出するように会場は拍手で包まれた。三人ともそれぞれのカタチで受け入れてもらえて嬉しい。

3月28日(土)
 この日は12時半に食堂に直接集合。なので午前中にゴッホがモンスに住んでいた時の家があるらしいのでそれを見に行く。はずが、道に迷ってしまい、モンス中をうろついただけで終わった。途中アンティークショップに行ったり、ストリートカジュアルブランドで、タータンチェック柄のスウェット上下を試着したりなどしたのだが。スウェットを着てつばがまっすぐになったキャップ(NEW ERAではない)を被ると、「ラッパーに憧れる学生」に見える。詩人としてモンスにきて「ラッパーに憧れる人」になるのも因果なもんだ。

 この日大島さんは「水の上を歩く」を朗読。安定感に磨きがかかってきた。大島さんが出てくると昨日とは違う「おっ」という反応で、「日本の詩人」というよりも「タケオ・オーシマ」として認識されたようだった。僕は「花子かわいいよ。」を朗読。ゆっくりとリズムと間を楽しみながら読めた。お客さんも言葉のリフレインから生まれるリズムと意味の多層化を楽しんでいるようだった。上々の反応。三角さんの「新世界」の朗読は昨日より研ぎ澄まされていたように思う。

 スラムの後開場のスクリーンでベルギー代表のサッカーの試合が流される。ベルギーチームの点が入る度に会場の皆が盛り上がるので、ここぞとばかりに「ジーニアス」「マーベラス」「メルシー」と適当に叫ぶと割に受ける。ベルギーチームの勝利でサッカー中継は終わり、続いてDJの卓が運ばれてダンスパーティが始まる。よきところで三角さんがホテルに帰る。僕と大島さんはダンスにも参加したが。大島さんは疲れていたのか一足先に帰ってしまう。ここから僕の長い夜が始まる。タケオとミヅキは夢の中。

 皆が思い思いに踊っている中、会場の外のロビーでは、ドイツ人詩人のテレーザが仲間と一緒に談笑していた。ダンスはあんまり得意じゃないという。ダンスに疲れた僕は、そこに交じることに。
 そこで僕の詩の話題になる。「私はただ笑いを取るだけの詩は好きじゃないの。でもあなたの詩は哲学とコメディーの衝突があるから好きよ」。なるほど。皆じっくりテキストを見ていたから、同じ笑いをとるものやリズム系の詩でも点数に差が生まれたのだという当たり前のことに気づく。「スラムだからノリ重視」と無意識のうちに決めつけていた自分を恥じ、また僕の詩を細かく読んでくれたことに感謝する。ま、未だに日本では「笑わすだけの詩人」なんて言う人もいるんだけどね。って話してると「ジョーこんなとこいたのか」と踊りの輪に戻される。まさかSmells Like Teen Spirit で踊ることになるとはね。普段踊り慣れてない上に平均的な日本人体型をしている僕はヨーローッパの男たちに比べると大分華奢なため、サビでカート・コバンが叫ぶのと同時にモッシュの渦が巻き起こるとモシュの中心に流されてすぐに外にはじかれてしまう。深夜三時、酒とダンスに酔いしれながら、ダンスパーティは終了。へろへろになりながらホテルに帰る。

3月29日(日)
 九時過ぎに目覚め、昨日と別ルートでモンスを散策。大型スーパーでドナルドダック型のチョコを買ったり、教会近くまで歩いた。

 十二時半にメゾンホールに到着。準決勝が始まる前、アランが昨日のダンスのナンバーワンだと言って僕とベルギー人のサロメを檀上に呼んだ。記念品としてアランから多分中古でかったのであろう映画「グリース」のDVDを渡される。海外版だから日本じゃみれねぇよ。

 そのままサクサクっと準決勝が始まる。
 結局、準決勝で僕たちは負けた。
 勝敗とは別に、三日間を通して自分のペースでリーディングができたこと、そしてそれを受け入れてもらえたことが僕にとって大きな自信になった。正直日本よりも安定したリーディングができたし、空気もうまくつかめていたと思う。考えてみれば滑舌の悪い僕にとって、僕の朗読に合わせて、英訳・仏訳が表示される今回の環境は理想的だったとも言える。観客はリズムと音感を僕の声から、意味を字幕から受け取ればいいので、途中嚙んでしまっても、文脈が分からないということは起こらない。だって文字は嚙まないもの。

 準決勝で東京チームの敗退が決まった時に、数多くの国々が「残念だったな。でも俺は君たちが決勝でもいいと思ったよ」と声をかけてくれて嬉しかった。

 夜の決勝戦まで時間があるので、出場詩人が泊まっているホテルに行って、ロビーで談笑する。日本チームだけ、同じホテルがとれなかったようで、別のホテルに泊まっていたのだ。 
この際だからと、スロヴェニアでは誰も言ってくれなかった最もポピュラーな日本語「阪神最高や!」を、出場選手に合唱させる。スロヴェニアのリベンジや! これを言えなきゃ日本じゃ遅れてるよというと皆口々に「ハンシンサイコウヤ」と言ってくれる。ドイツ人、フランス人、ベルキー人、イタリア人、日本人が「阪神最高や!」で一つに。ひとしきり盛り上がったあとテレーザが僕に言う。
 「ところでジョー、ハンシンサイコウヤってどういう意味?」

 その後ドイツチームのテレーザ、トビー、セバスチャンと一緒にレストランで夕飯を食べる。セバスチャンが僕の分まで出してくれた。話してみると彼らは、詩だけで食べているらしく、月の半分近くは国内・外でリーディングをしているのだ。セバスチャンの友人の詩人は、詩集を五千部売ったこともあるらしい。
 食事後は、財布を忘れたというトビーを残して一足先にメゾンホールに戻る。

 決勝戦開始直前。会場は満員で立ち見の人も出ていたぐらいだ。スワジキさんの家族も来ている。
 決勝戦は白熱し、3チームが同点のため、各チームの代表者が出てきて競い合うサドンデスとなった。僕らの応援しているバルセロナチームは時間オーバーのため惜しくも2位だった。優勝したフランスチームは抜群の安定感でリーディング。サドンデスとあって上位2チームは直前で読んだ詩をもう一度読んでいた。時間オーバーしたバルセロナチームと違い、フランスチーム代表の女性は一回目よりも熱量をましてよんでいた。自分のペースを維持できたか否かが明暗を分けた。もっともバルセロナチームのリーディングはパフォーマンス色が強く、舞踊のような動きもあり運動量が多いので一概に比べられないのだが。
 優勝チームも決まり出演者全員で記念撮影。表彰式ではアントロープチームが日本チームをたたえてくれた。その後は、最後の日を惜しむように、いろんな詩人たちと歓談した。フランス代表のサラ とは、ゴダールとハーモニー・コリンの話をした。旅先あるあるで、「フランス人に会う度聞かされるのはフランス映画の悪口ばかり」というものがあるときいたことがあるが、サラはゴダールを尊敬しているようなので、旅先の風物詩に遭遇することはなかった。まぁサラはセルフ・フォトグラファーで映画監督をめざしているので当然と言えば当然だが。でもリュック・ベッソンの話題ふったら悪口言ってたかもな。ハーモニー・コリンでも「スプリング・ブレイカーズ」は嫌いだって。僕は「スプリングブレイカーズ」好きでも嫌いでもないけど、ちょっと変なところがあってそこはいいと思ってたので「スプリング・ブレイカーズ・イズ・ファニー・アンド・キュート、ア・リトル」というと微笑んでくれた。
 サラとお別れし残ったみんなで記念撮影をして散り散りに解散。
 乾いて冷たいモンスの空気に触れながらホテルまでの道を歩く。

 僕たちはたくさんの声を発し言葉を聴いた。意味の分かることにも意味の分からないことにも。モンスでの日々の意味も無意味も一つの記憶となって浮かんでは消え、また浮かび上がる。
 大島さんがスラム出身で、僕と三角さんが現代詩出身で初のスラムだなんてここの人には関係ない。
 僕が日本人で、テレーザがドイツ人で、サロメがベルギー人なんてことも関係ない。
 ここではみんなひとりひとりだ。ひとりひとりだからこそまたこうやって一緒にいれる。
 僕たちはそれぞれ違う。持っているものが違う。住んでいる場所が違う。体つきが違う。声が違う。
 顔が違う。名前が違う。でもみんなたったひとりということでは同じだ。
 たった1人がたった1人で立てる場所。その場所がモンスになろうと東京になろうと十勝になろうとかまわしない。いつだってここから始める。そうすればまた違う一人と、たくさんの一人たちと会えるから。

 翌日まる一日時間があったので、ブリュッセルを大島さんと観光した。ピエールマルコリーニのマカロンとゴディバの生いちごチョコレート掛けなどを食べて回った。最後の最後でまるで修学旅行のようだった。三角さんは一足先にスロヴェニアに向かったので、三角さんがピエールマルコリーニに言ったかどうかは僕は知らない。



 帰国してから三カ月が経ち、日本でリーディングする機会に数回恵まれた。どの舞台でも僕は凄く緊張した。スラム帰国の歓迎会の意味があった舞台でもそのムードに浸りきることはできなかった。しかし僕はこの緊張感を手放すことはないだろう。この緊張感を持ち続けている限り、モンスで出会った詩人たちと同じ空気を共有しているのだから。いつでも僕らはたったひとり。みんなと同じ、たったひとりなのだから。

準決勝1
(大島22:20~ 橘43:00~)


準決勝2
(三角14:00~)