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三人の詩人たち~ベルギー・モンス・ポエトリースラムに参加して【レポート完全版】①

2015年07月31日

*「現代詩手帖」2015年8月号掲載の大島健夫+橘上+三角みづ紀「三人の詩人たち~ベルギー・モンス・ポエトリースラムに参加して」の各氏によるレポートの完全版です。「現代詩手帖」には橘氏によるリミックス版を掲載しました。各レポートの末尾にはポエトリースラムの動画も掲載しています。
②大島健夫レポート③橘上レポート


(撮影=三角みづ紀)

◎三角みづ紀

3月23日(月)の断片
 一時間しか眠らないままリムジンバスに揺られる。臆病だからはやすぎるのだ。まだチェックインのはじまっていない成田空港、スイス航空の窓口。午前七時半、この旅は長いのにわたしがはやすぎる。快晴。コーヒーを飲んで時間を流す。一時間しか眠らないままだから機内では異様に眠くて、そのまま眠った。チューリッヒ空港に着く四時間前にようやく本をひらき、一気に読了、隣に座る白いセーターの女の子はゲームをしている。黒縁の眼鏡。
 飛行機というものがすきで、とりわけ離陸時。解放されるようになるのか、最近では離陸と同時に睡魔におそわれる。二回の機内食、本を持つ以外の時間が曖昧に記憶される。隣に恋人がいればよかったのに。
 チューリッヒ空港で一時間十分のトランジット。パスポートコントロールとセキュリティチェックをかけぬけて、はじめてのベルギー、ブリュッセルへ到着した実感もわかないままにタクシーに乗ってブレス駅近くのホテルへ。夕方の、小さな飛行機はいつも西日がつよいなか人々が静止して、いつのまにか、もう、ホテルのベッドのなかにいる。速度。
 水が飲みたくて遅くまでやっている商店をさがす。地図をあたまに記録しないままに、見つけだしたらバングラデシュからきた主人の店。移民が多いのだろうか、ホテルのフロントの男性たちはトルコ人だ。それから時間を気にしない睡眠、夜中一時に目が覚める。鳥が鳴いている。鳴き続ける。
 明け方にすこし歩く。朝がくる前の高級な静寂。できすぎた鳥が鳴く。

3月24日(火)の断片
 お腹をすかせて七時半にブレックファスト。フロントのトルコ人は優しい。クロワッサン、ハム、玉子、ヨーグルト、コーヒーを二杯。今日の行動をあらかじめ記録し、一度、部屋へ戻ってパソコンを取り出す。仕事のメールを八通。天気も調べないまま、まずは地下鉄に乗ろうと十回券を求めた。メルシー。
 知らない町にきて、こわくないふりをしながら地下鉄あるいはトラムあるいはバスに揺られるのはいつものこと。まずはセントラル駅まで行ってみて、確認してからそのまま通過する。毎日、開催されているジュ・ド・バル広場の蚤の市へ。すてきな花の刺繍のカーディガン、猫の置物、母にプレゼントする革のポーチなどを買う。散策初日にして荷物を増やして、あきれるけれどいつものこと。おもいのほか楽しくて二時間ほど物色する。青い陶器の猫の表情がいい。
 マグリッド美術館へ行こうと考えるが、あさって行くかもしれないし、もう正午も過ぎたからグラン・プラスへ。大広場。わかりやすくワッフルを食べて、わかりやすく甘くて、エアメイルのためにわかりやすい絵柄のポストカードを五枚買う。一度部屋へ戻る。歩き回っていたら、滞在しているホテルの立地が良いことに気づいた。
 恋人へインターネットの電話をかけて声を聞いてから、スーパーマーケットへ。ガス無しの水、ガス入りの水、パンとムール貝とマヨネーズをあえたもの、小さなチョコレート。ぽつぽつといった言葉の似合う、雨、はじまり。
 朗読する詩と向き合ってから葉書を書き、通りへでたらしっかりと雨。午後七時すぎ。あたりが暗くなりはじめてから旅先の夜は長い。鳥が鳴いている。慎重になるから長いのだろうか。歩き疲れて夜七時に眠って、深夜0時に起きる。雨、鳥が鳴き止む。深夜三時に再び眠りにつく。

3月25日(水)の断片
 なぜ断片かというと、眠りに関係していた。もとより眠らない子供が眠らない大人になり、旅先では断片的な睡眠しかとれなくなってしまうからだ。三時間、二時間、二時間、のように、一日でたくさん日々が過ぎるように。三時間、二時間、二時間だとしたら計七時間は眠っているのだから十分かもしれないが、深さと浅さがあって、ブリュッセルの眠りは浅くって、余計に記憶も行動も断片となってしまう。
 午前六時半に起床。朝食へ。クロワッサンとコーヒー、玉子。郵便局、スーパーマーケット、美しいアーケード、サン・ミッシェル大聖堂。昼食のために部屋へ戻る。無愛想な若いふっくらした女性の店員のいる小さなカフェでパンとコーヒーを持ち帰りの袋にいれてもらい、質素な昼に途方に暮れる。あまりに無目的だと、自分の輪郭がふやけていくみたい。
 明日、日本から橘上くんと大島健夫さんが到着することが待ち遠しい。モンスへ行き、フェスティバルがはじまることが待ち遠しい。わたしには一日一篇の詩を仕上げるくらい目的がある旅が向いているんだろうか。せめて、恋人が隣にいればよかった。町をうろつきまわるだけなんて物足りない。はやく来た理由のひとつである「その国を知りたい」のためには長く滞在する必要は、あった。十ヶ月前に訪れたパリで耳にしたフランス語を思いだす。あたらしい言葉も覚える。ブリュッセルの町並みより、人々に興味がある。ぶっきらぼうで、親切で、通過者にはさほど興味はないだろう。それはわたしも同じだ。
 一時間だけ横になって、小便小僧を観に行く。予想通り、という感想。それ自体より、うれしそうに写真を撮る人々が楽しい。あたりには土産物屋があふれて、わたしもゴブラン織りのポーチを手にして、また散策して、雨は続いて、傘はささずにパーカーのフードをかぶっていた。部屋に戻る、鳥の鳴き声が届く、午後七時に眠る、深夜0時に目が覚める、荷物の整理をして手紙を書いて、もうすぐ午前二時半。
 雨の石畳は快晴より、きれい。

3月26日(木)の断片
 相変わらず断片的な時間において、明け方四時にベッドに入り、六時には目が覚める。粛々と荷物をまとめる。眠りに関しては恋人が隣にいなければ本当に困難だ。まもなく一緒に暮らして丸六年経つ恋人、最近、結婚しようかどうかという話を頻繁にするのだが、六年一緒に暮らして平穏なのだから結婚してもしなくてもしあわせだ(彼はわたしの詩を読まない)。
 クロワッサンをコーヒーで流し込み、九時にチェックアウト。この部屋は二一一号室だった。
 地下鉄ブレス駅から中央駅へ乗り継ぎ、九時四十四分の列車に揺られて空港へ向かう。まもなく二人がイスタンブール空港から到着するだろう。
 断片、速度、増して、上くんと大島さんがやってきた。まずは中央駅へ。地下にあるコインロッカーに三人そろって荷物を押し込み、フェスティバル前日、モンスに行く前に観光をする。過剰な倹約家である上くんが観光したいだなんて、意外。
「俺はこういう時しか海外にこないから」なるほど。
 両替所を探しつつ、サン・ミッシェル大聖堂と漫画博物館、マグリッド美術館でランチ。初の渡欧で機内ではほとんど眠らなかったと大島さんは言うが、元気そう。雨と風が強く、スーパーマーケットへ行ってお菓子や水を買って中央駅からモンス駅へ。一時間強。こういう風に若い詩人たちとヨーロッパに滞在するなんて、わたしもはじめてで、皆、そわそわしている。上くんは列車の中でお菓子ばかり食べている。

3月27日(金)断片
 正直に記すと、これを書いているのは四月十二日の日曜日、リュブリャナからピランへ向かうバスの中。モンスでの日々があまりに濃密で、相変わらず断片的な眠りの日々で、フェスティバルに夢中になっていたのもあるけれど、全く時間に余裕がなかったから。
 昨夜、モンス駅に到着したわたしたちをアランさんと翻訳してくれたスワさんがあたたかく迎えてくれた。スワさんはスリムで実に整った顔立ちをしている。アランさんはこのフェスティバルに参加するまでメールでしかやり取りしていなかったのだが、どっしりと体格のいい男性で、チャーミングなおじさん。おじさんなんて呼び方は失礼かもしれないけれど、そう呼びたい。
 三人で、日本からのお土産として伊藤園のお茶と干菓子を渡す。宿にチェックインして、まずは部屋を整えてから、三人で食事をする。朗読について少しだけ話もする。疲れもあって、はやめに解散。大島さんは自制してビールを一杯だけ呑んでいたのに、上くんは二杯呑んで、且つ、わたしが食べ残したポテトも食べていた。マッシュルームがおいしいポークステーキを食してエスプレッソ。
 まずは朝焼けが見たいと願う。それは、この町を知るひとつの手段だ。三時間眠って起きて、再び三時間眠って、カーテンの外をのぞけば少し明るんでいる。慌てて着替えて、カメラを手に宿を飛び出す。到着したのが暗くなってからだったからわからなかったけれど、モンスは小さくて美しい町。きちんと都市なのに騒々しくない造りで、凝縮されている。
 立派な市庁舎が建つグラン・プラスを黄色のバスが通過していく。住人にとっては見慣れたものなのだろう。朝の光がいきよいよく強まって、感情が増して、陰が伸びて、複数の鳥が鳴いた。郵便局の場所を確認して部屋へ戻る。たしか八時に集合して三人で宿の朝ご飯を食べたのだけれど、上くんがとにかく大量に食べて、りんごもかじっていたことを覚えている。
 そうして会場のメイソンフォーリへ。元々、学校だったのを改築して文化施設にしたこの場所は、音が響く不思議な体育館のようだ。うすら暗くて、ライブハウスみたい。ここで、三日間、朗読をするんだ。イベントのTシャツを受け取り、自分たちの出演時間を確認。昼過ぎからはじまって、わたしたちの出番は夜の手前。体力が不安だったけれど可能な限り観ようと決意して、ひんやりした椅子に座る。モンスはの公用語はフランス語らしいから、フランス語で朗読する詩人たちの字幕はない。ドイツ語で朗読する詩人たちには、ドイツ語とフランス語の字幕。内容がわからなかったのだけれど、これは、三分以内の声の戦い。声だけでどう魅せるか、そう思って、もとより自信がないわけではないけれど、当然ながら世界にはこんなに「聴かせる詩」があるんだと、善く、打ちのめされた。とりわけ感動したのはスペインのバルセロナからきたチーム。三人がバランス良く、音楽のようであり、寡黙であり、激しくもあった。きちんと変化する個性があった。
 日本チームだけ英語とフランス語の字幕が流れたから、伝わりやすかったかもしれない。上くんは詩のタイトルだけで既に笑いが起きていたから。わたしは「終焉#8」を朗読した。いつも以上に、丁寧に、ゆっくりと。声が線になって横切るように、点になって満ちるように。温度が下がっていくように。
 緊張にあふれてしまうけれど、終わってから「こんな朗読があるなんて」と声をかけてもらって、嬉しい。一つのテーブルに複数の国の詩人たちが座って、詩について朗読について喋った。語り合った。と書きたいところだが、わたしは疲れて英語を聞き取る能力がひどく落ちてしまっていた。大島さんは英語がとても上手だと知る。
 宿への帰路、三人だけでどこかお店に入りもう少しだけ話をしようかと思ったけれど、大島さんが明日のために休むと言って、わたしも同意して、はりきっていた上くんはがっかりした様子でひとり、どこかへ消えていった。
 眠りにつく前に恋人にエアメイルを書いて、今夜も断片的な浅い眠り。短時間で入り組んだ夢もみる。

3月28日(土)の断片
 お化粧もしないまま朝食のために向かうと、大島さんと遭遇する。大島さんは全てにおいて自制していて大人だと思う。わたしのほうがよく食べているから。クレープにブルーベリーのジャム、スクランブルエッグ、チーズ、ハム、それからコーヒー二杯。
 せっかく時間が重なったのだから、大島さんと少しだけ町を散策する。昨日の朝焼けの時に、隣の隣がスーパーマーケットだと気づいたから、土産ものをひやかして水を買う。マヨネーズとはちみつとチョコレートがおいしいらしい。ビールも有名なのだろうけど、わたしはアルコールが一切呑めないから、パス。恋人にあかしあのはちみつとレモン入りマヨネーズと板チョコレートを買う。その土地を知ってから経験したいのだ、あらゆること。食も、言葉も。だから長く滞在することに決めて、しかし眠りにおいてわたしは不器用すぎた。人柄や気候。フェスティバル参加者同士だけではなく、国まるごと、人々全て。もちろん全ては無理だとしても、その努力はしたいし時間を費やしたい。曇り空のこの日、突風が吹いたり雨もぱらぱら舞ったけれど石畳がきれい。公園や、家々が構える様もきれい。午前中の散策を終えて部屋に荷物を置き、二日目の会場に向かう。今日も出番は夜。
 昨日より時間が流れるのがはやく、断片的な日々をあらわしているようだった。前日より血の気がのぼって、わたしは「新世界」を朗読。血の気がのぼっていたから余計なことを考えなくてすんだけれど、昨日は確認した字幕の英訳タイトルをこの日は確認しなかった。マイクから続くシールドを丁寧にほどいた。右の掌でマイクを抱えた。身体全体でマイクを抱えた。自分のお母さんみたいになって、昨日から続いて日本チームはラウンド一位で準決勝に進む。夕食にデザートまで出てきて、わたしは空気が抜けた風船みたいになって、会場ではサッカー中継が流れたのちにダンスがはじまって、雨の中、パーカーのフードを深くかぶって部屋に戻る。恋人の顔を少しだけ確認する。テレビをつける。
 疲弊しきっていたけれど、声を出した時の高揚といったらなくって、沈黙すればするほどの言葉があふれていくと感じる。眠りにおちて、目を開いて、眠りにおちて速度が増して、明日でモンスの日々が終わってしまう。

3月29日(日)の断片
 三月の最後の日曜日はサマタイムへと時間がきりかわる日。一時間を損したような気持ちになって、気づいたらすっかり朝。明日にはこの町を去るのだと思ったらさみしいが、今日の朗読をしっかりおこなって、できれば決勝まで進みたい。そのために、ここに、きたから。そのために、ここに、きたのだけれど、一番とかそういうことよりも、讃え合うことに感激を覚えていた。
 初日、予選一回目。二日目、予選二回目。今日が準決勝と決勝の日。戦うって、得点とか内容とかはもちろん大切だけれど、どれだけ参加している詩人たちを愛せるかなのかもしれないと考える。愛する愛さないはわたしの日々にとってひどく重要で、フェスティバルがはじまる前には存在すらしなかった人々がわたしの中にたちあがって声を出す。声をかける。存在していたとしても知らなかったら存在していないと同義で、知らないことはわたしによって、無知は時折美しいけれど知っていたほうが良いことはたくさんあって、朗読の大会は知らなかったことで、この旅で知った大きなことだったのだ。記憶が断片だったとして、眠りが浅かったとして、食事を摂っていても知らないことは知らずに知っていることは血になって身体をめぐる。
 結論から書いてしまえば、わたしたちは準決勝で敗退したのだけれど、出番のない決勝もしっかり楽しんだし、声をかけあったし親しくなったバルセロナチームは二位だった。彼らのパフォーマンスをたくさん観ることができて幸福だった。また雨が降っていた。ぽつぽつではなくきちんと降っていて、速度が増して、讃え合うわたしたちは明日には飛行機に乗ったり列車に揺られて移動する。徐々に忘れていく。名前も、詩の内容も、声も。何を食べたのかも、どんな視線を交わしたかも。笛をふいて応援したことはなかなか忘れそうにないけれど、この三日間を過ごした空気と意味みたいなものは身体をめぐっていってわたしは明日からベルリンに十日ほど滞在して、リュブリャナで三日過ごしてピランに移って、リュブリャナに戻ってそれから帰宅するから血肉が育って、誰の声を自分の喉にしめらせて懐かしいドアを開くかは決め損ねていた。
 雨が続いている。上くんが、わたしが食べ残したパンを食べている。大島さんはドイツからきた詩人とお喋りしている。隙間をぬってわたしは部屋に向かって、浅い呼吸のまま浅い眠りに飲み込まれていく。臆病だからはやすぎるのだ。チェックアウト。

予選ラウンド1
(大島健夫9:15~ 橘上24:40~ 三角みづ紀39:20~)