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編集部から

三人の詩人たち~ベルギー・モンス・ポエトリースラムに参加して【レポート完全版】②

2015年07月31日

*「現代詩手帖」2015年8月号掲載の大島健夫+橘上+三角みづ紀「三人の詩人たち~ベルギー・モンス・ポエトリースラムに参加して」の各氏によるレポートの完全版です。「現代詩手帖」には橘氏によるリミックス版を掲載しました。各レポートの末尾にはポエトリースラムの動画も掲載しています。
①三角みづ紀レポート③橘上レポート


(撮影=大島健夫)

◎大島健夫

 今回の、「SLAMons&Friends」参加における個人的な経験について、まず、現地で遭遇した3種類の鳥類について以下に述べる。いずれもベルギーでは普通に観察できるが、日本には全く生息していないか、容易には観察できない種である。

 「モリバト」
 ハト目ハト科。ヨーロッパ全土、北アフリカ、中東と西アジアの一部に分布する。首にある白い模様と、一回り大きな体格によりカワラバトと容易に区別することができる。モンスでは公園の芝生の上などでカワラバトに混じって行動していた。肉は美味であると聞く。

 「イエスズメ」
 スズメ目スズメ科。イエスズメは南極大陸を除く世界すべての大陸に生息する、汎世界的に分布する鳥であるが、なぜか東アジアには生息しておらず、その代りに日本でおなじみのあのスズメが生息している(ちなみに、日本で見られるあのスズメは、ユーラシア大陸にしか自然分布していない)。雄は頭頂部にグレーの部分があり、雌は淡い体色をしており、どちらも容易にスズメとは区別できる。ブリュッセルでもモンスでも市街地で普通に見られた。

 「カササギ」
 スズメ目カラス科。ユーラシア大陸の広い範囲に生息しているが、日本では九州と北海道の一部に生息しているのみで、しかもこれは外国から持ち込まれたものの可能性がある。尾が長く、白と黒のコントラストが鮮やかな優雅な鳥。知能も非常に高い。ブリュッセル市街の公園で観察できた。

 さらに今回の「SLAMons&Friends」参加における個人的な経験について、印象に残っている事象について以下に述べる。

 「自分のうんこの匂いが日本とは異なっていた」
 チームメイトの三角みづ紀、橘上の二名とも健啖家であり、三名とも物が食べられず苦労するということは一切なかった。何を食べても飲んでも美味かったベルギーであるが、トイレに入り大便をすると、明らかに日本での便とは匂いが異なっていた。日頃、菜食傾向がかなり強い私が、肉食中心、また普段食べない甘いものを大量に摂取していた結果と思われる。なお、便秘はしなかった。

 「街中で見かける日本車はみな“安物”であった」
 モンスはフランスに近いだけあり、シトロエン、プジョー、ルノーが多い。駐車してあるところを覗くと、ほとんどの車はマニュアルミッションである。フォルクスワーゲンやアウディ、フィアット、アルファロメオもかなりのシェアがあり、ヒュンダイやキアの韓国車も目につく。日本車はなべて小型車ばかりで、2リッタークラス以上の車はほぼ見かけない。言わば、“安物の実用車”ばかりだ。トヨタ・アイゴやユーロシビック、小型車枠のスズキ・アルトなど、“日本では売られていない日本車”もたくさんある。90年代前半もののカローラ3ドアハッチバックというレア極まりないような車と、なぜか複数台遭遇した。一台だけ、ダイハツ・コペンを見た。

 「モンス初日の晩に足が攣った」
 この10年ばかり足が攣ったことは一度もなかったが、モンスのホテルで最初に迎えた夜、ふくらはぎが攣った。ホテルそのものはたいへんいいホテルであり、これは東京→イスタンブール→ブリュッセル→モンスというほぼ24時間の旅と、その間の水分不足が原因と思われた。トルコ航空はサービスも良くて機内食も美味かったのだが。イスタンブール空港に到着した際、橘上氏は「足がむくんで靴が入らない」とこぼしていた。

 「主催者に次第に感情移入していた」
 色々と親切にしてもらい、また現場で主催者のAlainさんやスタッフの皆さんが走り回って奮闘している姿を見るうち、だんだんと観客側より主催側に感情移入してしまい、イベント自体の成功を願っている自分がいた。特に、Alainさんも他のスタッフも、日本の高校生程度の英語しか喋れないことが判明してからはなおさらであった。がんばれAlainさん、と思った。私は日本チームの先鋒だったので、モンスで最初に詩を朗読する日本人ということになる。変なことをしでかせば、わざわざ私たちを招聘してくれたAlainさんの顔に泥を塗りかねないことになる。だから、予選一日目、朗読を終えて引き揚げてきた時、Alainさんが安心した顔で「ブラボー」と言って握手を求めてきた際には心からほっとした。

 「フランス語圏の人は英語が喋れない人も多い」
 実際、出場選手、観客を問わず、ベルギーとフランスの人たちの中には、英語など全く喋れない人がかなりいた。日本では、「フランス語圏の人はみんな英語が話せるがプライドが高いためにわざと話さない」というような認識を持っている人も多いと思うが、それはやっぱり間違いである。お互いに全く言葉が通じないというのはそれはそれで楽しいもので、フランスから車を飛ばして観戦に来たというフランス人の老夫婦に、「ジュテーム」の正しい発音を教わった。日本語だと何と言うのか、と尋ねられたので、「好きです」と教えてあげたら、老夫婦顔を見合わせて二人同時に「スキデス」と言ったのがものすごく可愛かった。

 「べつに、日本人が際立って英語を喋れないわけではない」
 そんなわけで、イギリスチームなどを除けば、他のヨーロッパチームの英語はかなり怪しげなもので、はっきり言って平均的な日本人と似たり寄ったりである。だからヨーロッパに行く日本人は、言葉に自信がないからと言ってこそこそする必要などない。重要なのは、橘上氏のように誰とでもひょこひょこ仲良くなる能力と、三角みづ紀氏のように街の空気の中で自然にふるまう能力である。ましてや同じポエトリーリーディングをやっている身、出場選手みんな話せばわかる。

 「と言うか、もう上がっただけでわかる」
 今回、出場全チーム中、アジアからの出場は我々のみ、あとは全てEU圏内であった。思うに、24チーム全72人のスラマー、その全てが、故郷に帰ればファンの方も多くいて、「なんとかのカリスマ」とか「なんとかのスター」とか言われているような人たちであったことだろう。ポエトリーリーディングをこれまで続けてくるにあたっては、一人一人に様々な背景があったはずだ。時には食べたいものも食べられないようなこともあったろうし、恋人に「私とポエトリーとどちらが大事なのか」と迫られたようなこともあったと思う。72の笑顔の裏には、これまで刻まれてきた72の物語があったはずなのだが、ステージに上がれば、誰もがたったひとりだ。たったひとり、今ここでオーディエンスの前で何事かを証明する以外に、その一つ一つの物語の次の瞬間を生きる術はない。スラムはたった三日間だが、スラマーにとってはこれまでの人生にプラスすることの三日間なのだ。スラムは勝敗を決める競技だけれど、自分の出番と対戦相手の出番が終れば、誰もが皆、友人を増やしていた。互いに全精力を尽くしたなら、友人になる以外にどんなことができるだろう。
 準決勝ラウンドが終った瞬間、我々のところに走ってきて「おまえたちはウォリアーだ、おまえたちは俺たちの中にいる、俺たちはおまえたちと一緒に決勝を戦う、だからおまえたちが戦うのと同じなのだ。見ていろ、俺たちは必ず勝つのだ」と言い、決勝で火の玉のような素晴らしいパフォーマンスを展開しながら、3秒超過による減点という紙一重過ぎる原因により準優勝に終わったバルセロナチーム。
 表彰式の後、全員の見ている前で「ほんとうに決勝にふさわしいのは日本チームだった、だからこれを贈る」といって、決勝ラウンド進出者記念品の猿の像を贈ってくれたアントワープチーム。全てがあまりにもいい瞬間だった。これは詩のイベントであり、またスポーツであり、大げさに言えば、そこにはひとりひとりがベストを尽くすことで平和に近づくという精神が宿っていた。ステージの上では誰もが自由であり、それがゆえに平等だった。
橘上、三角みづ紀両氏もまた、最高のチームメイトだった。三角さんと街を歩く時は小さなことの一つ一つが新鮮で街そのものが生きているように感じられたし、橘さんと歩く時には修学旅行中の高校生みたいにやたら楽しかった。
 大会終了後、多くの詩人たちと話す中で、そのほとんどが異口同音に口にしていた。「私は書き続ける。君も書き続けよう」
 あとはここから帰ってきた自分自身が、この先に何を生かしてゆくのか。
 この経験をさせてくれた全てに対して、心からの感謝を。

予選ラウンド2
(大島6:00~ 橘22:00~ 三角36:00~)