詩の本の思潮社

ホーム編集部から > 文屋順『仕舞い』新刊インタビュー
編集部から

文屋順『仕舞い』新刊インタビュー

2011年06月21日

このたび十冊目となる新詩集『仕舞い』を刊行された文屋順さんに、書面にてお話をうかがいました。文屋さんは仙台在住。東日本大震災で被害を受けられましたが、今回の詩集には、どこか未来を予感するようなメッセージに溢れています。


プロセスと所作

「仕舞い」は、首尾、すなわち始まりと終わりという意味で、私たちは何か一つのことを始める訳ですが、それには必ず終わりがあって、そのプロセスにおいていかに一生懸命に情熱を注ぐことができるかが重要なポイントだと思います。また、「仕舞い」は、能・舞踊などの所作を意味しますので、詩集を通じて何か自分らしい舞いができたらと思い、タイトルを仕舞いとしました。


3・11その日に

 地震が起きた時私は、自宅にいてラジオを聴いていました。突然緊急地震速報が流れ、それと同時に大きく揺れ始め、それがだんだん強いものに増幅し、ほとんど立っていられない状態が三分ほど続きましたが、まるで五分ぐらいに感じられたほどでした。


本棚が倒れて本が部屋中に散乱して、まったく手の付けられない状態になり、とりあえず日が暮れるまでに、最低限度のスペースを確保するために少しだけ片づけて、夜のために懐中電灯の乾電池を求めて近くの店に行きましたが、すでにどの店も売り切れで、仕方なく家に戻って、たまたま同じ住宅の人が懐中電灯とローソクを用意しているということで、その人の部屋に数人集まり、ほとんど何の被害もなかった漠然とした安堵感と明日になったら被害の全容が少しずつ分かってくるだろうという不安が複雑に混乱させ、淡いローソクの灯りの下で、携帯電話のテレビの映像とラジオから聴こえてくる情報だけを頼りに不穏な夜を過し、一睡もできずに寒い朝を迎えました。沿岸部にはおぞましい大津波が押し寄せたことを知り、もの凄い規模の大地震が起きてしまったことを確認した時、その哀しさに涙も出ませんでした。実際に私の住まいの数十メートルのところまで、津波が襲ってきたことを実感して、身の毛がよだちました。その時この震災で甚大な被害を受けた多くの人々の犠牲をむだにすることのないように、何かをしなければという強い意志だけはありましたが、余りにも不自由な中で、早く電気だけでも復旧して欲しいと望みました。


 その頃避難所ではみんなそれぞれ混乱した動きをして、パニック状態に陥っていましたが、自宅でやり過ごしている私は、本当の痛みが分りませんでしたし、食べるものを求めてスーパーに四時間も並んで、ようやくバナナ一房だけ買うことができました。その間ラジオから流れてきた千昌夫の「北国の春」にどんなに励まされたか、また遠く神戸の震災経験者の的確な言葉が、とても身に沁みました。「ああ、日本中の人々が被災地のことを心配している」ということが伝わってきて本当に嬉しい気持ちでいっぱいでした。


震災後、詩人として

 大津波によって未曾有の被害を受けた被災地に、実際に行ってみて余りにも悲惨な状況を目の当たりにした時には、ほとんど言葉を失いました。それをきちんとした言葉で発信しなければならないという使命感が、かえって何も書けない状態に陥らせ、言葉の無力感を感じました。それでも私たち詩人は、詩を書くことしかできないのです。震災の日から一ヶ月以上経ってから、ようやく私は一篇の詩を書きました。


終末への予兆

 宮城県沖地震が近い将来非常に高い確率で必ず起きるという警告を、いつもラジオ等で知らされていて、その危機意識が頭の中に常に響いていて、その感性が敏感に反応したのでしょう。今年二月のニュージーランド地震の苛酷な被害状況が鮮明にイメージされていて、詩を書くときに自然に出てきたフレーズが偶然にあたかも予知していたかのようになって書き留められたのかもしれません。私にそのような予知能力が少しあるのか、あるいは偶然なのか判断することができませんが、余りにもぴったりするので、私自身とても驚いています。


死生観と宗教観

 人間がこの世に生まれてくることには、それぞれ意味があって、誰でも何らかの使命を持って生命を授かるのです。「人はすべて死ぬだろうし、僕もまたそのうちに死ぬだろう。そんなことは初めから分っている。ただそれが何時であるのか予め知ることが出来ないから、安んで日々の生活の中に、それが生きていることだと暁ることもなしに、空しく月日を送って行くのだ」(福永武彦『草の花』より)。科学でははっきりと説明することが出来ない宇宙の原理を考えると、人間というものは何とちっぽけな存在であることを思い知らされます。人間の智慧では到底測り知れない存在が確かにあって、それがこの果てしのない宇宙空間を創造し、未来永劫存在し続けるものだということを認識させられるときの不可思議さは普遍的なものです。日本という国を何とかしなければならないと、遠い異国の数多くの人々が救い主のように飛行機で集まってくれて、有難い援助の手を差し伸べてくれました。国民一人一人がエゴを捨てて、その手厚いアガペーに感謝しなければなりません。



 文屋順(ぶんや じゅん)宮城県仙台市在住。
 詩集に『片辺り』、『君を越える』、『詩人と私』、『クロノスの腕』、『都市の眼孔』、『色取り』、
 『八十八夜』、『祥雲』、『無言歌』。詩誌「舟」「孔雀船」同人。